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開発秘話 その4,A3図面ケース,A3バッグ

e5822389デザインと芸術について。

デザインと芸術の違いについてはいろいろな人が色々と論議の対象にして来ているので いまさら と言う感じがしないでもないけれど、デザインと芸術の違いを僕なりの観点と経験をふまえで考えてみようと思う
僕らが日常的にデザインをしていて、困った事に芸術とデザインをどうやら混同して話をされる場合がある
デザイナー間にもそういう誤解がある もしかしたら誤解しているのは僕の方なのか?いやそんなことはあるまい。

僕の考えでは、デザイナーと言う職業を特別扱いしたい人が世間には跋扈していて、たいていそういう人は芸術とデザインをごっちゃに話をしている人が多い。デザイナーもそうだが、お客さんにもこういう人は沢山いる。

当たり前と言えば当たり前なのだが、僕にとってデザイナーというのは、魚屋さん とか、美容師、とか、学校の先生 とか、お医者さんとか、駅員さんとか、タクシーの運転手さんと何も変わらないと思うのだ つまり、デザイナーとは僕はれっきとした職業と思っている訳だ。

当たり前じゃないか。と言われそうなのだが、ところが!このデザイナーは職業であるくせに時として芸術家の様な振る舞いをするときがある。 こんな風にいうと、じゃあ、芸術家はどうなの?芸術家だって職業じゃないかって言う人が必ず出てくるが、芸術家は職業じゃない!これだけははっきりさせておかないと話がややこしい。どうして職業じゃないのか?
一言で言うと、芸術家はお金の為にやっている行為では無い と言う事なのだ。
お金のためにやっていない行為は職業であるはずはない。

つまり、芸術家とは たとえばお母さん という固有名詞に近いと言う事なのだ
お母さんがお金を儲ける為にやってはいけない行為なのと同じ様に 芸実家もお金のためにやっては行けない行為なのである。芸術家をやっても飯が食えないから、辞めました。と言う人がいたら、当たり前じゃないか!と言わせていただく。

反対にデザインとは一言で言うと商品なのである 芸実は商品であってはならない。お母さんがこどもたちに貢献する行為はある意味、芸術活動といってももしかしたら僕は良いのでは無いかと思う こどもの教育と言う物はお母さんにとって芸術作品を創造すると同じ様な意味を持っている
じゃあ、ピカソとかゴッホはどうなるんだ 数十億で売っているじゃないかって思える。しかし、一般の人で、そんな高い値段で絵画を買う人はまずいない。『どうしてそんなに高いの?』素人考えではそう思う。当たり前だ。なぜなら、
絵画に興味の無い人にとってはピカソであろうがダビンチであろうが、なんの価値もないわけである。 だからその価値観が分からない。
つい最近、絵画を盗んで、警察に捕まりそうになったからピカソやモネの作品180 億円相当を燃やして証拠を隠滅しまったと言う泥棒がいたけれど.この泥棒さん達、これが現金だったなら燃やせなかったのじゃないかと僕は思う。

反対に絵画の価値が解っている人なら、180億の現金は燃やせても、ピカソやモネは絶対に燃やせないはずだ。お金は稼ぐのは難しいが、いくらでも国家は量産が出来る。芸術はそうはいかない 一つっきりだからだ。

しかし 反対に価値が解らない人たちにとっては燃やしたからと言って、どうって事がない物。それが芸術作品の本来の価値観なのだ。
本当はピカソであろうが ダビンチであろうが、ゴッホであろうが、芸術作品はみーんなタダである。 でも、どうしても。手に入れたい。このすばらしい絵をどうしても!欲しくて欲しくて欲しくてたまらない。どうか、お願いだから、売ってください!というだだっ子みたいな人達がこの世の中にはいて、その人たちが勝手に値段を付けてどんどん値段が上がってしまった結果が数十億と言う価格になって行く。もちろんその背景には投資目的で値段をつり上げる人もいるけどそう言う現象が起きるまではタダ!そう、芸術は無料である。
しかし、芸術家はいったん世間に認められたらお金持ちになってしまう。でもそれは結果的に、いたしかたなく やむにやまれず、 お金持ちになってしまうのであって、 お金の為にやる行為ではないのだ。

では芸術とは商売でなければいったい何なのか? 強いて言うなら、『人間として表現したい事ことがある』と言うだけの事である。芸術は何のためにあるのかという質問は、お母さんが子供を育てる行為は何のためなのか?とか、お前は何のために生きているのか?とか、そういった事をたずねているに近い。

芸術家は言葉ではどうしても表現出来ない事を表現する手段である。 たとえば、どんなにすばらしい音楽でも、それを言葉で表現する事はかなり難しい 言葉で説明するより、音楽は聴かないことにはやはりそのすばらしさは解らない。

絵画も同じで、『表現したい事』が言葉では伝えられない。だから、芸術家は絵を描いて表現する。のである。
さらに例を挙げるなら、赤と言う色を見た事のない人に赤を説明出来るだろうか? こんな色だってキャンバスに塗り付けて見せるのが一番てっとり早い。
芸実活動とは赤を見た事がない人に、赤い色を見せてあげる様な行為。であると僕は思う。 (余談だけど、不思議な事に人は聴覚では何の説明もなしに芸術性を感じ安いが、視覚では、見た感じを尊重するより、説明を求めたがる傾向がある様に思える。
この芸術家は何を考えてこんな音楽にしてるの?という人は少ないが、この芸術家は何のためにこんな絵を描いたの?と
疑問に思う人は圧倒的に多い。)

この様に芸術家は表現したい事を表現する。だからなんなのか?と人は聞くかもしれない。そこには何も意味は無い。しいていうなら、人間の前頭葉の機能であるとしか言いようが無い
絵画を描いた人は、描きたかったから描いたのである。それが芸術家と言うものである。芸術の本質は生きている過程において、ある日突然! 『はっ』 と言う気づき、である。その気づきが表現されたものが芸術だ、だから、同じ気づきを別の芸術家が描いても、それはあまり意味のある事ではない。芸術は人類の歴史の軌跡において、常に今日的で新しいか、より、進歩的で無ければ意味が無い。

一方、デザインとは何なのか
ぼくはデザイナーとしてルーキーの頃、営業の人に『君たちはいいね。芸術家だから。価値が上がったら、儲かるね』って言われたことがある。言った人は芸術家とデザイナーを混同してるのだろう。僕自身は芸術家とデザイナーはむしろ反対の位置づけにあるように思える。
芸術家は人間の欲望を増幅する為に存在しているのでは無い。むしろ、時として芸術は人間の欲望を批判する立場にあったりする。しかし、 デザイナーは商品を売り、会社の利益の追求の為に仕事をするのであるから、消費者の欲望を増幅する記号なのだ
僕らのやっている行為は人間の欲望を増幅する為の記号開発で この記号を生産することによって報酬を得る商売なのだと言う事を
キチンと意識して描くべきだと思う。
僕らの職業はそういう『業(ごう)』を背をっているのを意識して仕事をするべきだと思う。芸術とデザインを混同している限り、仕事に対する問題定義は発生して行かない。

ところで、近代アート時代に入ってポップアートがデザインと芸術の境目を意識してあいまにしてしまった。
アンディウォーホルのポップアートは芸術と大量生産された物(デザイン)との境界を曖昧にし、そして、『ほら、これも芸術だよ? あれもそうだよ』と、物質的豊かさをモチーフに絵画を量産して、コピーしまくり、皮肉たっぷりに僕たちに社会的問題定義を突きつけてくる。

こんな風にアートがデザインの様にどんどん量産されて商売になってしまったら、華やかなデザインの裏側にどうしようも無い空虚を感じるてしまうのは当たり前の話じゃないかね?