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2001年宇宙の旅

スタンリーキューブリックと言えば、もっとも有名な映画は2001年宇宙の旅ではないかと思うimages
スタンリーキューブリックの名を知らない人でもよほどの映画嫌いでもない限り、この映画を知らない人はいないのでは無いか?
僕はこの映画を両親と一緒に映画館で見た記憶が有り。怖くて全部見れなくて途中でトイレに行くふりをしてロビーのソファーに逃げていたのを覚えている。この映画が日本で封切りされたのが1968年の事であるから、計算すると僕は9歳だったはず。
9歳の僕がこの映画の言いたい事を解る訳も無いのだがとにかく怖かったことは覚えてる。
なにが怖いと言って、生きて行く上で何か得体の知れない巨大な物が僕を支配しようとしている。という圧迫感みたいな物がこの映画の全編に流れていて、そいつが怖くて最後まで見れなかった。ホラー映画の様な恐怖とはまた全然違うものだ。
この映画の原作を描いた人がアーサーチャールズクラークと言う人で、科学オタク小説家である。僕はこの映画が大好きで何度も何度もDVDで見直した。その割には原作は一度も読んだ事が無い。このアーサーチャールズクラークと言う人は、科学オタクなだけに自らを無心論者と言っているが、かなり複雑な無神論者である。その理由は2010年の続編を見れば解る。

原作を読まない理由はスタンリーキューブリックの抽象的な写実が大好きなので、小説には
あまり期待出来ないと勝手に思い込んでいる。読んだらがっかりしそうだからだ。

ところでこの映画の内容だが、ストーリーはほとんどない。あるのはテーマだけ。映画の中で何度も何度も流れる音楽。リヒャルトシュトラウスの交響曲『ツラトウストラはかく語りき』が流れる ツラトウストラといえば、ニーチェの小説に登場する人物であり、ツラトウストラは神は死んだといい、キリスト教の人為的な、つまり、人の様な怒りや悲しみをもった感情的な神を否定している。『神は我々を創造したかもしれないが、もうとっくに死んでしまった。そんな神に何かを期待するのは馬鹿げている』と語る架空の人物である。
この映画で『ツラトウストラはかく語りき』の交響曲を使うのは効果音として使っているだけではなく、哲学的意味がきっとある事だろう。

映画の全編に流れるテーマが音楽とともに押し迫ってくる。宇宙には意思の様な物があって、だが、決して神ではなく、物質的な法則のような意思があって、人はそれに支配されている モノリスと言う黒い石盤はその支配の抽象的な象徴として登場する。謎の物体、モノリス。このモノリスは遠い太古の昔、人類の夜明けから、つまり、猿から人間へと進化する時に我々の前に何の前触れも無く突然現れる。猿だった我々はおののきながら、この謎の石盤に手で触れる。この様に人間が初めて宇宙の意思に遭遇するシーンがこの映画の前編に表現される。モノリスに遭遇することによって、猿が知恵を持つようになり道具が発明される。この映画では、猿が初めて使った道具は敵を倒す為に握りしめた獣の骨であった。敵を倒し、勝ち誇った猿が道具として使ったその獣の骨を『どうだ!』と言わんばかりに空に高く放り投げる。放り投げた骨が空に回転しながらフェイドアウトして、宇宙船の姿に変わる。そして、未来の2001年の宇宙の旅のシーンへと移行する。
何の解説も無く、言葉も無く、ただ、音楽と映像だけで猿から人間の進化 科学の進化を表現するなんて。凄いと言うしか無い。

中編ではHAL と呼ばれる自分の意思を持ったコンピューターが登場する。HALは全ての宇宙船の生命維持装置をコントロールしているが 突然乗組員に反乱を起こす。なぜ反乱を起こしたかは2010年宇宙の旅のこの映画の続編で解説されることになるが、2001年宇宙の旅では一切の説明は無い。余談だが、HALと言うコンピューターの名前の由来は、現在のコンピュータIBMより、進化したコンピュータで、頭文字を一つ進めて Iの前がH Bの前がA Mの前がLから取り、HALとなった。現在は2013年で、映画のように人類は木星にも行っていないし、意思を持ったコンピューターも存在しないが。

さて、人類が木星へ旅だった理由は、モノリスという謎の石盤が月で発掘され、それが何なのか研究されようとした時に、石盤はこつ然と姿を消す。 それからしばらくして、木星から未知の信号が送られ、発信源を調べるとあの月で発見されたモノリスからの信号であった。探査宇宙船のディスカバリー号は謎の解明のため木星へと旅立つが、コンピュータHALが反乱を起こし、人間を一人づつ殺して行く。最後の生き残り宇宙飛行士のデイブがコンピューターとの死闘の末、HALの中枢神経の電源を切るのだが、コンピューターが『やめてください』『私は怖い』と哀願するシーンはまるで人間のように死の恐怖を知っているようだ。

終盤に入り、ディスカバリー号に最後に残ったデイブはいよいよ木星付近でモノリスを発見するのだが。。彼がそこで見た物は。

黒い石盤、モノリスの謎。この物質は一体何か?何の説明も無く、この映画は終わってしまう。人間は一体何なのか?何処へ行くのか?この世界は意思が有るのか?生とはなにか?生きて行く上で人間が問う『なぜ?』がこの映画のテーマであると思うが、一切の謎は答えられないまま、映画が終わる。というゾクゾクする様な映画。スタンリーキューブリック。やはり天才だ。

ところで2001年宇宙の旅は、2010年宇宙の旅の続編に受け継がれるのだが、この続編映画はキューブリックは監督をやっていない。ピーターハイアムズと言う監督が手がけている。
僕の感想を言うと、続編のこの映画は見ない方がいい。面白く無い。何が面白く無いかと言うと。アーサーチャールズクラークは無神論者だと自称しているくせに 結局、意思のある神の様な物としてモノリスを登場させてしまう。神の存在が物質的なモノリスに変わっただけで、人間の生の謎に模範解答を与えてしまっている。 映画の中盤で、
死んだはずのデイブが年老いた妻の前に現れて、『すばらしいことが起こる』 などと言う。宇宙船ごと木星で吹き飛んだはずのHALから生き残ったフロイド博士に信号が送られてくる。『分かち合い、平和の元に暮らすのだ』などと、言ってしまう。ラストでは地球を戦争の無い楽園にして 当たり障りの無いラストでおわる。木星が新たな太陽となり、そしてエネルギー問題が解決され平和な地球が誕生する。
これまた原作を読んでないからわからないのだけれど、この結末にどうしてもキリスト教的な宗教感を感じる。
キューブリックが天才すぎるのか?2010年の映画監督が悪いのだろうか? それともアーサークラークの原作がヘッポコなのか?
『2001年宇宙の旅』で言いたい事と全く反対の事を言っている様な結末が僕はつまらない。
2001年の作品のムードもぶち壊しだ、こんなダメダメ映画を後編として作りやがって!バカヤロ、と思うのは僕だけだろうか?